避難・移住・帰還の権利ネットワーク

2012年6月に国会で成立した「原発被災者支援法」に基づき、被災者・避難者の権利を実現するためのネットワークです。

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報告:3/15 避難者がつくる公聴会

【報告:3/15 避難者がつくる公聴会】
 3月15日(金)、避難者がつくる公聴会in姫路は50人の参加で成功しました。

 出席を求めた復興庁・環境省は不参加。しかし4人の避難者が自らの要求を訴え、傍聴した市民、姫路の弁護士会、市会議員、国会議員秘書、新聞記者らに共感が広がりました。

 発言した避難者の要求は多くが共通するものでした。

・原発事故の真実を報道してください。
・甲状腺検査、尿検査など放射能健診を、少なくとも半年に1回。
・避難先の住宅提供。
・住宅ローンの免除。
・夫が避難先に来るための交通費。
・食品の安全基準を大幅に下げること。
・子どもの疎開。
・ガレキを焼却しない。放射能を拡散させないこと。


(小平市から避難したAさん)
 水道水の汚染で、子どもの安全が最優先と思い、PTA役員も替わってもらって、姫路に避難した。姫路に来て「避難は大げさだ」と何人かから言われた。パソコンで放射能情報を調べると絶望的になったが、周囲との距離は開くばかり。メディアが「正しく怖がろう」などと言っているから。

 子どもにジンマシンが出て給食を弁当に代えた。一人弁当を食べる子どもの姿に涙が出たが、子どもは放射能のことをわかっていて『弁当がいい』といってくれる。安心して食べられる給食を望む。

 夫は単身者用住宅を借りて住んでいる。家具は捨てた。「あの頃は幸せだったね」と子どもが言う。夫の仕送りも6ヶ月途絶えている。

 避難して2年目でやっと避難者や理解ある人に出会えた。子どもの成長を見守るためにこれからの人生をと思う。


(郡山市から避難したBさん)
 原発事故直後に、3月13日の臨時便で伊丹空港に着いて、ようやく子どもを守れたと、ほっとして動悸もおさまったが、逃げ出した罪悪感は今も消えない。

 避難で家計は10万円以上の追加出費。夫が月に1回夜行バスで来る。その時は子どもが父親から離れない。せめて月2回、新幹線の交通費をと思う。

 郡山市では除染してその土を自宅の庭に埋める。それでようやく毎時0.25マイクロSv。市民は今まで2年間は1まいくろSvの中で暮らしていた。庭をコンクリートにした友人、九州の野菜を取り寄せ、休日には放射能の低いところに子どもを連れ出して遊ばせる友人もいる。福島では甲状腺検査も済んでいない。異常があっても再検査は2年後。子どもに疎開を。公務員の夫は事故当時、雨の中を出勤した。大人にも健診を。

 避難する、しないの決断を家庭に押しつけた国と東電に腹が立つ。生活補償をしなさい。

 原発事故は制御できない。子ども達に明るい未来を残してやりたい。原発があったら明るい未来はない。


(南相馬市から避難したCさん)
 3号機の爆発で子ども達を安全なところに避難させることを決めた。神奈川、静岡とホテル暮らしを続け、浜松市役所に行ったが、20キロ圏内でないので門前払い。一度福島に戻り、避難先を決めようとしていたら、避難区域が30キロ圏に広がって、自治体の態度が変わった。紙切れ一枚で避難者への対応が違うことに今も腹が立つ。家族には反対されたが子どもの健康が一番、避難先の三木市に行けば何とかなる、と。公園でのびのび遊ぶ子どもの姿を見て涙が出た。避難してよかった、これからが本番だと。

 兵庫県の避難者にも故郷に帰る人もいる。私も帰りたい、大切な人が残っているから。でも子ども達のことを考えると、こちらに残ろうと思う。


(東京から避難したDさん)
 himeji E (神戸新聞より)
 3月14日に3号機が爆発して、最悪の事態になったと思った。家族会議でもすぐに避難を決断できずにいたが、妹が「チェルノブイリのタンポポのこと知ってる?」と。義弟は「フランス大使館員は避難を開始した。」子ども達の健康が最優先と判断して、避難を決心した。

 大阪でしばらくホテル暮らしだったが、高額なのでいつまでもいられない。妹家族海外へ。姉らは4月に関東へ、母は東京へ戻った。私は悩んだが、夫が「原発はどうなるかわからない。東京には戻るな。おまえの人生はおまえのもの、避難できたのは恵まれたこと。俺が大阪に行くかもしれないから、それまでがんばれ」と背中を押してくれた。

 ワンルームマンションを借りて、台所用品も無く、食事は安いコンビニ弁当などで済ましていたが、貯金はどんどん無くなって、これからどうなるかと不安。とにかく働こう。お金がないから履歴書に貼る写真4枚。4回の面接のうちに仕事を決めないと、と決心した。幸い2回目の面接でパートのお仕事が決まった。

 週2回、仕事している時は避難生活を忘れられた。でもそれ以外は私の存在は誰も知らない。自分が動かないといけない、勉強も始めた。

 夫が7月に避難してきた。仕事を探したが何社も断られ、仕事は選べないと慣れない派遣の肉体労働についてくれた。5時に家を出て帰宅は20時、シャツが真っ黒。あの事故さえなければ・・・・・・・・。

 避難者は自分で仕事も住宅の医者も確保しないといけない。国が避難者し支援してくれたらと思う。、国はなんで情報を開示しなかったのか?国と東電は何で平気でいられるのか? 国は避難者の思いを受け止めて、支援法に要求を取り入れてほしい。 
 
 希望する全ての人に健康診断を。
 住宅の無償提供を。雇用の斡旋と避難者用の就職先の拡大。
 避難者が家族と会うための交通費。
 各地で公聴会や、意見を聞く会を。 


(公聴会を主催した「原発事故を考える姫路市民の会」のSさん)
  himeji s

 今年の3月11日、福島県双葉町から福島市に移住した人の記事で『原発のことは考えずに前を向いて生きたい。』彼らはどうなるのか?避難者と家族の健康はどうなるのか?これからが悲劇の本番。チェルノブイリの本を読めば、私にもわかる。

 「直ちに健康に影響はない」と政府・枝野は言った。原発4基を爆発させても直ちに影響はないと。体で証明してみろ。放射能プルームは3月15日に関東をおそった.国も東電も福島県も知っていた。『放射能が降るかもしれないから外に出ないように』とでも一言いえば、赤ちゃんまで被曝させることはなかった。

 今も汚染地から食品、製品、ガレキが拡散している。子どもの喉元にナイフを突きつけられた気持ち。

 教育委員会は『食材は国の基準以下だから大丈夫。』学校農園の肥料も『国の基準400Bq以下なので大丈夫。』府や市役所は『8000Bq以下なら大丈夫。』『避難者の受け入れは、国から要請が無いと出来ない。』全て国と東電の責任。「直ちに影響がない。国の基準以下だから大丈夫」なぜ私たちが国から命令されるのか?いつ行政が主権者になったのか?

 放射能汚染に復興などあり得ないのに、復興庁なんて名前はやめなさい。国は健康被害を認めなさい。生きる権利を保障しなさい。今もどう子育てすれば良いか悩む。でも希望を見たいから、運動を続けます。運動している時は希望を見られる。希望は自分の手で作り出すもの。

(私も、「どこでも誰でも健康診断」署名の意義について、発言しました。)
  himeji k


 参加者からも、健康診断を始めた(加古川市民)。震災経験地でもっと避難者のお話会を広げたい、医療署名も広げたい(神戸市民)。紙面で皆さんの声を伝えることが使命であると思っている(地元紙の若い記者)、などの意見があがり、避難者の訴えが共感と運動を広げる力だと実感しました。


【復興庁が支援策を発表】

 被災者支援法を具体化する施策案が復興庁から発表されました。

 「原子力災害による被災者支援施策パッケージ 概要」

 → http://www.reconstruction.go.jp/topics/20130315_gaiyo.pdf

 「福島に帰ってきたら支援する」「福島に帰るための支援はする」と言う態度です。詳しくは後日。
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  1. 2013/03/19(火) 22:19:08|
  2. 避難者がつくる公聴会
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避難者がつくった公聴会でした。

【避難者がつくった公聴会、でした】

11月27日、「避難者がつくる公聴会in大阪」が150人の参加で成功しました。大成功だったと思います。

まず、主催者「大阪府下避難者支援団体等連絡協議会」の青木弁護士の報告を引用して報告します。

『本日の避難者がつくる公聴会は、無事に全日程を予定どおりに終えることができました。急の開催決定でしたが、ご理解とご協力を、多方面の参加団体からいただき、ありがとうございました。

 おかげさまで150名の参加で盛会のうちに進めることができました。
 内訳は、避難者 34名、一般参加 74名(ただし、一部加入団体の方あり)、ホッとネットおおさかの加入団体から22名、報道関係者11名、国会議員+秘書5名、大阪市会議員2名、復興庁2名(政策調査官と参事官補佐)でした。

 とにかく9名の避難者の様々な立場からの多面的な発言と、み・らいずさんからの子どもの声 は、いずれもこの日のために復興庁に届けたい切実な内容が、しっかりと準備され、心から絞り出されたもので、聴衆の心をうつ
ものでした。

 復興庁からの回答は十分なものはみられませんでしたが、熊本や福井からも避難当事者の方が参加され、これからの動きにつながるいい場を設けることができたと思います。

 準備の中心になられた小山さんや江口さんには、たいへんにお疲れさまでした。

 ぜひとも、発言の一旦を聞いていただきたいと思いますので、IWJのHPで、しばらく動画を公開されていますので、ぜひお聞きください。

 下記のところから、大阪1 チャンネルでご覧下さい。

http://iwj.co.jp/  」


【私(小山)の目で、この公聴会の成功を数点にまとめます。】

①150人の参加、国会議員3人(前職を含む)、大阪市会議員2人、S市の職員の方、そしてマスコミ多数が参加・発言・取材され、社会的な注目を集めたことは間違いありません。

②30人以上の避難者が公聴会に来場しました。遠方の福島県、福井県、熊本県からも避難者の方が参加し、熊本の方は復興庁に要望書を提出しました。「基本方針」が予算案としてまとめられる時期に、避難者自身が積極的に動いている姿を、復興庁に伝えられたと思います。

そしてこの公聴会は避難者を励まし、勇気を伝えました。

母親の決意、原発事故への怒りと要求・・・・・・、これを国に対して直接訴える事が、そこに参加した方「傍聴者」)に感銘を与え、何より避難者に勇気を伝えたことを、私は確信しています。遠くから来てくれた避難者の方々は、「大阪は熱気がある」「市民の関心が高い、特に男性の参加者が多い」と驚き、喜んでくれました。翌日に京都公聴会で出会った避難者は「昨日の大阪の公聴会を動画で見て、今日発言する気持ちになった」と仰っていました。

③具体的には、復興庁から3つのことが述べられました。
・ 住宅の問題。罹災証明の有無や「自主」避難者への支援を調査したい。
・ 避難先での孤立化対策。
・ 被災者支援法の周知の必要性。
訴えた要求はこれらだけではありませんが、その中で復興庁が発言したこの3点については、急いで実現してもらいましょう。

④そして何より、近畿の避難者がこの公聴会を作り、支えました。
発言した避難者は9人。福島県の強制避難区域の人、「自主」避難地域の人、福島県以外からの自力避難者それぞれに原発事故で人生を狂わされ、命を守るために多くのものを捨てて避難を決断した時の経過と心情・苦悩、そして避難先での生活再建の苦労を原稿にして発言しました。
 
当日の発言は出来ませんでしたが、発言者以外にも多くの避難者が原稿を書きました。
発言者が当日欠席する事態に備えて「ピンチヒッター」として、初めて大勢の前で発言することを決心して当日を待っていた人もいました。司会や、当日のスタッフも避難者が担いました。(多くの市民やクレオ大阪、社協や弁護士会などの方のスタッフ参加にも感謝いたします。)

 「自分たちが主役にならないと誰がやるのか。」そんな気持ちが生まれていたと思います。
そしてみんなが公聴会の成功のためにがんばる姿が、一人一人の避難者を勇気づけながら進んできた1ヶ月でした。

 さて、これで被災者支援策が実現するわけではありません。何しろ敵はいまだに原発を動かし、さらに再稼働を進めることを強引に企む電力会社・大銀行など金融資本・経団連の連中です。権力を持っています。総選挙でも自民、民主、維新を金と組織集票で全面バックアップします。
 
 でも避難者の要求の運動が、かつての原水禁運動のように全国民的な運動になり、国を動かすかもしれないという手がかりを感じた1ヶ月でした。


【「あなたたちが放射能まみれにして住めなくした茨城の自宅を弁償しなさい。」】

 この公聴会の避難者の発言の中で、印象に残ったことの1つを紹介します。

私たちの運動は、天災の被害の救済を求めることではありません。損害賠償、加害責任の問題を離れては、運動は力を得られません。避難の権利ミーティングで発言原稿を相談した時に、避難者は「いったい何のために、誰のせいで避難して来たのか、ということを言いたい」と議論しました。だから多くの発言から、すき好んで避難したのではない、元の生活を返せ、と被曝させた東電と国に対する怒りがにじみ出ていました。それを象徴的に表現した言葉の1つが先の見出しです。


【11/28 京都公聴会に参加しました】

昨日(11/28)は「避難者がつくる京都公聴会」に参加(傍聴)しました。マスコミも入っていて、こちらも注目されていました。(昨夕のNHKとMBSで報道されました。)

避難者9人と香川県の保養支援NPOの方が要望書を準備して発言しました。最後に会場から3人が手を上げて、発言しました。

特徴的、印象的なことを書きます。

【復興庁の発言】
・冒頭に復興庁が被災者支援法のスケジュールを報告。少し具体的なことを言いました。
 選挙で少し予定がずれているようで、来年1月中か2月初めに予算案を確定する見込み。
 (支援策として)たとえば「健康調査」「交通費」「リフレッシュ制度」など議論している。メニューが決まり次第、「支援対象地域」を決め、閣議決定。

・主催者を代表して奥森さんが最後に、支援法14条に基づき、復興庁の「基本方針」と予算案策定に際し、京都で報告会を開催するのでもう一度京都に来るよう求めました。
すると復興庁は、「京都に来るのは約束できない。意見を反映する具体的な方法をとる」と参加者の前で発言しました。奥森さんが、「ではその方法は今度相談して決めましょう」と念を押しました。復興庁も否定しませんでした。

・昨日と同じで、復興庁の職員の方は「京都の公営住宅に入居期限があるのか」と聴いていました。そんなことも知らないのか!?と思う一方、復興庁は住宅支援についてかなり議論をしている、とも感じました。

【避難者の要求】
・福島県の避難者も関東の避難者も被災者の発言の中では共通して、住宅の保障(公営住宅の入居期限をなくす。民間住宅の家賃補助)、健康診断、仕事、交通費の補助、を要求しました。

・東京の避難者が、関東の人たちは福島に遠慮して支援してくれと口にしない、でもこれは支援のお願いでなく,こどもが生きる権利の問題だと思う、と力説しました。

【さて11/30に・・・】
 
 公聴会で言いっぱなしではいけないので、さっそく30日に復興庁に請願に行ってきます。要求の第1は「希望者全員に、放射能健康診断を無料で実施すること」、そして最後は「基本方針の原案を作る過程で、再度近畿の避難者に支援策の説明をすること」とします。公聴会の意見がどのように反映されるのか?そこも聴いて、釘を刺してきます。
  1. 2012/11/29(木) 10:24:35|
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ご案内:11/27,28「避難者がつくる公聴会」

【ご案内:11/27,28「避難者がつくる公聴会」に注目が集まっています】

 11月27日「避難者がつくる公聴会in大阪」と28日「(同)in京都」に注目が集まっています。

 19日には大阪弁護士会のお部屋を借りて記者会見をしましたが、選挙中で記者が忙しいので、ぜんぜん来ないかな~と心配していると2社が来て、「ホ~ッ」としました。いろいろ質問してくれました。
公聴会当日には各新聞社やTV局も取材に入ります。
近畿選出の国会議員が2名参加します。

何より、福島、福井、九州から避難者の方々が参加します。富山の避難者の方も、参加したい、と連絡がありました。

予算編成が本格化する直前の時期です。発言する避難者の方々も、避難を決断した時の気持ち、避難してからの生活、そして国への要求を、長くない時間内でしっかり復興庁に伝えようとがんばって原稿を書いています。

公聴会を支えるスタッフにも司会、受付、託児などに避難者が多く加わり、「避難者がつくる公聴会」として成功させようとがんばっています。


強制避難区域の避難者、福島県を含む関東、東北からの自力避難者が、原発事故と放射能汚染から避難した心情、そして責任の所在を求めて発言します。

避難者・被災者の発言に社会の注目を集めて、国の原発被災者支援制度を拡大させることに力を貸してください。

公聴会にご参加ください。
詳しい内容は,こちらからチラシをご覧ください。→ http://hinan.jimdo.com/要請書-ちらし/

★避難者がつくる公聴会in大阪
 11/27(火)10:30~15:30
 クレオ大阪中央・セミナーホール
 
★避難者がつくる京都公聴会
 11/28(水)13:40~16:30
 京都呉竹文化センター・創造活動室

  1. 2012/11/28(水) 08:34:15|
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